4日坊主でした。

せっかく始めたレコード毎日一枚鑑賞は4日で一旦終了してしまいました。

あと2枚ほど聴いていたんですけれど、感想を書けなくてそのままになってしまいました。何を聞いたかだけ残しておきます。

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セロニアス・モンク

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Monk's Dream

セロニアス・モンクを2枚続けて聴きました。

結構好きだなと思いました。迷いがなくてスッキリしています。変だなと感じる音もあるけれど、多分へんじゃないんだろう。それくらい堂々と音を出している。音楽は音の集まりなんだと、今更ながらに思ったのが自分でも不思議な感覚でした。

レコードを聴く4日目

さて、今日私が聴きますのは

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Full House/ Wes Montgomery

こちらです。

youtu.be

ピアノは 私の好きなWinton Kelly。1962年。

今から約60年くらい前のアルバムです。ジャズって不思議です。年月が経ってもちっとも古臭い感じがしないのです。「そうであるもの」として厳然とそこにある。それはクラッシック音楽と何ら変わらないと感じさせます。歴史としては(バッハやハイドンの時代には)敵いませんが、成熟度は深いものを感じます。正しい継承と発展を目指すことが必要だと感じます。

と言っても私には何が正しくて何が違っているかは分かりませんが、ただ良いものを良い分かりリスペクトする力を育てたいと思っています。

WesもKellyも素晴らしい。

掛け合いでは少しやり過ぎの感もあって、ついつい聴きながら笑ってしまうことがありました。相手の演奏で自分の演奏が変わっていく、そういう芸術があるんだと思いました。

Album: Full House Year: 1962 Label: Riverside Wes Montgomery - guitar Johnny Griffin - tenor sax Wynton Kelly - piano Paul Chambers - bass Jimmy Cobb - drum

 

 

 

レコードを聴く 3日目

今日は、オスカー・ピーターソンとミルトジャクソンのアルバム。「Reunion Blues」。

二人の競演は素晴らしくゴージャスで音符の数が多いです。キラキラしていて、おじさんたちからどうしてそんなに乙女な音が出てくるのか。あの巨体のあの太い指は高音のかわいい音を生み出して、コロコロと跳ね回る。でも、可愛いだけじゃないですね。かなりタフ!終わりを知らない。その中で方向性を決めているのはレイ・ブラウンのBassなんだろうな。「さあ、そろそろ締めるよ」って。楽しくて仕方ないんでしょうね。

 

キラキラもしっとりもいいけれど、初心者の私にはブルースがとってもかっこよくかんんじます。

やっぱりジャズは癖のあるノリが楽しいな。

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Reunion Blues-1

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Reunion Blues-2

 

レコードを聴く

今日は王道のマイル・スデービスをかけました。「Kind Blue」もありましたが

あえての「Someday My Prince will Come」アルバムを選びました。

ウィントンケリーのピアノがとても好きです。ソロも素晴らしいけれどバッキングがおしゃれで粋というのでしょうか。他の楽器の魅力を引き立てるリズムや音の選び方に、ついマイルスのトランペットのソロよりケリーのピアノに聴き耳を立てている自分に気づきました。

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MILES DAVIS "SOMEDAY MY PRINCE WILL COME"1

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MILES DAVIS "SOMEDAY MY PRINCE WILL COME"2



39歳でてんかんを引き起こして亡くなったとありましたが(Wikipedia)、この時代は一体何人の天才が産まれているのでしょう。

天才が天才を呼んで、影響し合っているみたいに聞こえます。

 

マイルスはジュリアード音楽院中退とありましたが、ほとんどの奏者に音楽教育の記述はないように思います。ケリーも生まれ年と亡くなった歳と没年はありましたが、一体どうやってこんな音楽を手に入れているの不可思議です。

レコードを聴く

レスター・ヤング2

rester young-jacket2

レスター・ヤング

rester young-jacket1


今はレコードを持っている人はあまりいないでしょう。CDでさえも。

音楽はデータで配信されているし、再生するための機器はスマホになっています。

 

ターンテーブルにレコードを置き、落とさないように針をゆっくり乗せてスピーカーから出てくる音を聞くのです。

レコードを聴きたくなったのは(もちろん家に沢山あるからというのも理由だけど)

一冊の本がきっかけです。

Potrait in Jazz 和田誠・ 村上春樹 新潮文庫

ジャズメン(女性もいます)の肖像を和田さんが描き、その音楽性を村上春樹さんが文章にしていく構成の本です。

我が家のレコードのほとんどはクラッシックですが数少ないジャズにレスター・ヤングのアルバムがありました。A面はレスタートリオでB面がカンザスシティセブン。

portrait in Jazzで紹介されていたアルバム「pres and  teddy」はなかったけれど、

あるばむの名前調べておかないと。Amazonにでもグーグル先生でも見つけられなかった。結構希少なアルバムなのかもしれません。

 

テナーサックスが叫ぶようなジャズは苦手なのですが、レスターは柔らかくていいですね。力を抜いて歌うように聞こえました。(リリカルでリラックスしたプレイスタイル・・・とあり・・・なるほどと思います。戦争の体験から精神にダメージを受けお酒に溺れ命を縮めたとありました。)蘊蓄を調べながら聞くと、またずっと楽しいものになりますね。

 

明日は何を聞こうかな。

一日、一枚。

レコードを聴く。

私の新しい習慣。

私を忘れた母と

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もうすぐ母の日です

母はアルツハイマー認知症と診断されてそろそろ10年になります

最近、娘や息子、夫も分からなくなってきています

それでも

あんたが来ると嬉しいよと言ったり

帰る時はさみしいねえと言ってくれたりします

時には、あんたなんか用はないよ

帰ってと言われたりして

実家へ足が遠のいていました

 

なんとなくそんな母に会いに行くことが嫌だったのです

 

母の日も恨めしいです

「お母さん」と声をかけることはしません

あなたを産んだ覚えはないと言われることが辛かったからです

でも

喜ぶ顔を見たいのは、アルツハイマー認知症をもった母でもやっぱり私の母だから

なのだと思います

 

プレゼントに興味はなかったみたいです

そもそも、

子どもから何かを買ってもらって嬉しいものってあるのだろうか

ものじゃないのだよね

一緒にいる、気持ちが嬉しいのだから

 

それで結局

一緒にコロッケを作りました

作ると言っても

母はもう料理はできません

お湯をわかすこともできないし

お箸を並べていても

今何をしているのか途中で分からなくなります

それでも

小麦粉をつけて、パン粉をつけて、形を整えて、、

ぐちゃぐちゃだけど

「いいねえ」といって楽しんでました

テーブルの下に粉が飛び散り

ひどい状態でしたが、

気にするのをやめました

 

昔、母が私たちに自由にさせてくれた時と同じように

 

少しだけ

自分の中のきまりを緩めたら

母と仲良くできました

 

コロッケを揚げて食べるころには

母は作ったこともすっかり忘れ

ほんの少ししか食べられなかったけれど

 

仲良くいい時間を過ごせたのです

これでいいんだと

私の心のなかで、私が言ってました

大きな親切、小さなお世話

精神保健福祉士の資格を取りたい、勉強したいといって

家族や職場にはいつもの仕事をほっぽり出して

出かける私は迷惑をかけていたのかな?

みんな少しは、うんざりした日もあっただろうな

 

と思うと

 

迷惑をかけるって「人との間のこと」なんだなと感じています

 

(迷惑をかけると感じるのは

迷惑をかけた人なんだろうか、それとも迷惑かけられたと感じるほうなのか

 これはちょっとすぐに解決しそうにないので、もう少し温めておきます)

 

生きるってことは、

自分以外の人と関わって

「迷惑かけてなんぼ」の世界観です

 

その中でも、

自分の決めたことや、やりたいことで誰かに影響してしまったことは

ごめん、ありがとう!

って気持ちになります

 

でも、年をとって「お世話にならなければならない」という状態で

迷惑を掛けたくないという言葉とは意味が違いそうです

こちらには、「小さな親切大きなお世話」って気持ちを感じます

自分なりのやり方や、生き方があるのだから

この気持ちは当たり前と言えば当たり前かもしれないのです

 

でも

支援するほうは「小さな親切大きなお世話」の状況が見えてないのかもしれないです

 

 

目の前の小さな親切じゃなくて

大きく広い視野と心でみる

「大きな親切小さなお世話」を考えています